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この記事でわかること
✓ 映画と原作で全く異なる最終形態のビジュアルと設定
✓ 本当の正体であるデッドライトとマクロバースの関係
✓ 最強の怪物が悪口で弱体化し、最後は心臓破壊で倒された驚きの理由
✓ ラストシーンの赤ちゃん姿がかわいいと言われる背景
こんにちは、最終形態コレクション運営者のキワメです。
ペニーワイズの最終形態について気になって検索してくれたんですね。その気持ち、よくわかります。
映画の最後で急に巨大な蜘蛛のような怪物になったかと思えば、最後は妙にかわいい赤ちゃんの姿になったりして混乱しますよね。

僕も最初は「あれ、ピエロはどこ行った?」と頭の中がハテナでいっぱいでした。
作小説で語られる宇宙的な設定や死の光といった深い意味が隠されていると解釈できます。この記事ではペニーワイズの正体や死因について、僕なりの視点でわかりやすく解説していきますね。
- ネタバレ注意!
- 本記事は、映画『IT/イット』シリーズおよび原作小説の結末、ペニーワイズの正体や死因について詳細に解説しています。作品を未視聴・未読の方はご注意ください
映画と原作で異なるペニーワイズの最終形態
映画『IT/イット』のガチャ“IT ペニーワイズコレクション2”が発売
— ファミ通.com (@famitsu) August 13, 2022
風船を持った印象的な姿やクモのような姿などペニーワイズだらけの全4種類。最終形態は組み立てると12センチになりカプセルトイとは思えないほどデカイ!
https://t.co/MfzxSJWL5R pic.twitter.com/M9PxkhAYnw
まずは、みんなが一番気になっているペニーワイズの「見た目」について整理していきましょう。
実はこれ、見る作品によって全然違うんですよ。原作小説の深すぎる設定から、映画版でのビジュアル変更の理由まで、マニアックな視点で掘り下げていきますね。
原作小説で描かれた巨大な蜘蛛の秘密
スティーヴン・キングの原作小説では、物語のクライマックスでペニーワイズは「巨大な蜘蛛(Giant Spider)」として描写されています。この蜘蛛、ただサイズが大きいだけの虫ではありません。
高さは約4.5メートルもあり、剛毛に覆われた黒い体躯を持つ、まさに悪夢のような存在です。
なぜ「蜘蛛」の姿をしているのか?
ここが非常に面白いポイントなんですが、実はペニーワイズの正体は蜘蛛ではありません。
原作では、「人間が見ることのできる形態の中で、精神が崩壊せずに認識できるギリギリの姿」として、脳が勝手に蜘蛛のイメージを当てはめているだけだと説明されているんです。
つまり、僕たちの脳みそが「理解不能な恐怖」を処理しきれずに、「これはきっと蜘蛛だ!」と無理やり解釈した結果なんですね。
人間の理解を超えた存在だからこそ、最も根源的な恐怖の象徴である蜘蛛として知覚されるわけです。
衝撃的な「メス」という事実
さらに原作には、映画しか観ていない人が聞くと腰を抜かすような設定があります。なんと、この蜘蛛形態のペニーワイズは「メス」であり、あろうことか妊娠しているんです。
ここが一番怖いポイント
ルーザーズ・クラブのメンバーであるベン・ハンスコムは、戦いの最中にペニーワイズが産み落とした卵を発見します。

もしこの卵が孵化してしまえば、地球上はペニーワイズの子供たちで溢れかえり、人類は終わっていたでしょう。
単なるモンスターではなく、「繁殖する捕食者」としての生物的な気持ち悪さが、原作のクライマックスには漂っています。この「妊娠した蜘蛛」という設定は、映画版ではカットされてしまいましたが、ペニーワイズの底知れぬ生命力を象徴する重要な要素なんですよ。
本当の正体である死の光デッドライト

じゃあ、蜘蛛の仮面を剥いだ「本当の中身」は何なのか。それが作中で「デッドライト(死の光)」と呼ばれる存在です。これは物理的な肉体を持たない、純粋な破壊的エネルギーの渦のようなものだとされます。
映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の第一章でも、ペニーワイズが口を大きく開けた奥に、鮮やかなオレンジ色の光が揺らめくシーンがありましたよね。あれがデッドライトの片鱗です。
直視した人間に訪れる末路
この光を直視してしまうと、人間の精神は耐えられずに崩壊してしまいます。原作では、デッドライトを見た者は魂を抜かれ、永遠の虚無の中に放り込まれるように示唆されます。
肉体は地球上で生きていても、精神は植物状態(カタトニア)に陥り、元に戻れないことがあるんです。
有名なセリフ「お前も浮かぶぞ(You’ll float too)」というのは、単に下水道の水死体として浮かぶという意味だけでなく、魂や意識がデッドライトの領域に取り込まれ、“浮かぶ”ような状態にされることを連想させる、もっと恐ろしい含意があるとも言われます。
物理的な痛みよりも、永遠に終わらない精神的な苦痛。これこそがペニーワイズの真の恐怖であり、デッドライトの本質なんですよ。
映画版と原作における最終形態の違い

ここで原作、1990年のテレビ版、そして2019年の映画版での違いをパッと見でわかるように比較してみましょう。時代ごとの技術力や解釈の違いがよくわかります。
| 比較項目 | 原作小説 (1986) | 1990年 TV版 | 映画版 (2019) |
| 最終形態 | 巨大な蜘蛛 | 巨大な蜘蛛(物理) | ペニーワイズと蜘蛛の融合体 |
| 特徴 | 概念的な姿・メス | 昆虫的なクリーチャー | 上半身がピエロで下半身が蜘蛛 |
| 決着方法 | 精神的な儀式と心臓破壊 | 物理攻撃でボコボコにする | 悪口で弱らせて心臓を握り潰す |
1990年版の「残念な蜘蛛」問題
1990年のテレビミニシリーズ版では、当時の特撮技術の限界もあって、ラストに登場した蜘蛛が「作り物っぽい」「あまり怖くない」と批判されることがありました。
前半のティム・カリー演じるペニーワイズが圧倒的に怖かっただけに、最後にただの物理的なモンスターになってしまった落差が激しかったんです。
ティム・カリー自身もインタビューでこの結末にはがっかりしたと語っているほどで、ファンの間でも長年「オチが弱い」と言われ続けてきました。
2019年版の「ハイブリッド形態」の発明
その反省を活かしたのか、2019年の完結編『IT/イット THE END』では、非常に秀逸なデザインが採用されました。それが「ペニーワイズの上半身を残した巨大蜘蛛」です。
顔はあの不気味なピエロのまま、体からは鋭利な鎌のような足が生えている。これにより、ビル・スカルスガルドの素晴らしい表情演技を最後まで活かしつつ、モンスターとしての脅威も表現することに成功しました。

個人的には、この「話が通じそうで通じない異形感」が最高に気味が悪くて好きですね。
マクロバースに潜む宇宙的な恐怖の起源

ペニーワイズって、ただの下水道に住むピエロだと思っていませんでしたか?
実は彼、地球生まれの生物ではありません。「マクロバース(Macroverse)」という宇宙の外側に広がる虚無の空間から飛来した、古代の超越的な存在なんです。
ペニーワイズはただの「指先」に過ぎない
このスケールのデカさが、単なるホラー映画のモンスターとは一線を画すところです。マクロバースは物理法則が適用されないカオスの世界であり、ペニーワイズ(IT)はその深淵からやってきました。
もっと恐ろしいのは、私たちが映画で見ているペニーワイズや巨大蜘蛛の姿は、あくまで彼がこちらの次元に干渉するために差し込んだ、たとえるなら「指先」や「アバター」みたいな端末に過ぎないという点です。
本体はずっと遠く、人間の手が届かないマクロバースの彼方にいる―という“宇宙的存在”としての描かれ方がある一方で、物語上は(原作でも映画でも)最終的に「心臓の破壊」で決着がつくのがポイントです。
これを踏まえて映画を見返すと、彼がなぜあんなに傲慢で余裕ぶっているのか、なんとなく理解できませんか?
ペニーワイズ最終形態の死因と赤ちゃん姿の謎
ここからは、映画『IT/イット THE END』のラストシーンに焦点を当てていきます。
「なんであんなに強かったのに、最後はあっさり負けたの?」という疑問を持つ人は多いはずです。そこには、物理的な強さを超えた「心の戦い」がありました。
悪口による縮小化が決定的な敗因

映画版での敗北の決め手は、なんとルーザーズ・クラブによる一斉の「悪口」でした。これは冗談でもなんでもなく、非常に論理的な戦術だったんです。
「ただのピエロだ(Just a clown)!」「弱い!」「偽物だ(Mimic)!」と罵倒されまくることで、あの巨大な怪物は見る見るうちに小さくしぼんでいきました。まるで空気が抜けた風船のように。
信念が現実を変えるルール
ペニーワイズの能力の根源は「現実改変」に近いものですが、それには「相手の認識に依存する」という大きな制約があります。
ここが重要!
ペニーワイズが巨大で恐ろしい姿でいられるのは、相手が「こいつは巨大で恐ろしい怪物だ」と信じ込んでいるからです。

恐怖こそがペニーワイズがの燃料であり、体を構成するエネルギーそのものなんですね。
逆に言えば、相手が恐怖を克服し、「お前なんてちっぽけなピエロに過ぎない」「怖くない」と腹の底から認識(Belief)した瞬間、彼はその認識通りに「ちっぽけで無力な存在」にならざるを得ないんです。
物理攻撃ではなく、この「認識の書き換え」による強制的な矮小化(Shrinking)こそが、無敵の怪物を倒す唯一の方法でした―という“テーマ”として映画が強調している、と捉えると腑に落ちます。
なぜ最期に赤ちゃんの姿になったのか

罵倒されて極限まで小さくなったペニーワイズは、最終的にシワシワの赤ん坊のような姿になりました。これには強烈な皮肉と、作品のテーマが込められていると僕は思います。
かつては子供たちの恐怖を糧にして食らっていた「絶対的な捕食者」が、最期には最も無力で守られるべき「赤ん坊」の姿になって殺される。この対比は強烈ですよね。
「恐怖」からの卒業
また、この姿は「無力さ」の象徴でもあります。あれだけ威張り散らしていた怪物が、最後は泣き出しそうな顔で地面を這いつくばる。
この情けない姿をさらすことで、ルーザーズ・クラブの面々(そして観客)に対して、「ほら、もう何も怖くないだろう?」と視覚的に訴えかけているのです。
「未知の恐怖」が「理解可能な憐れな存在」に変わった瞬間、彼らの子供時代のトラウマは完全に終わったと言えるでしょう。この因果応報とも言える演出は、物語の幕引きとして完璧だったと僕は感じています。
最後がかわいいと話題になる心理的理由
SNSなんかを見ていると、「最後のペニーワイズ、ちょっとかわいそう」「なんかかわいい」「保護したい」という感想をよく見かけます。ホラー映画のラスボスに対してこの感想はおかしい気もしますが、心理学的には理にかなっているんです。
ベビースキーマの罠
あの姿は頭が大きくて体が小さい、目が離れているといった、いわゆる「ベビースキーマ(Baby Schema)」と呼ばれる赤ちゃん特有の特徴を備えています。
僕たち人間は、この特徴を持つ生き物を見ると、本能的に「攻撃してはいけない」「守ってあげたい」という庇護欲を刺激されるようにプログラムされているんです。
たとえ相手が殺人ピエロだとしても、その本能的なスイッチが押されてしまうため、「怖い」よりも「かわいそう」という感情が先に立ってしまうんですね。
ビル・スカルスガルドの素顔効果
さらに、演じているビル・スカルスガルド自身の大きな目と端正な顔立ちが、特殊メイクが薄くなったことで露わになっています。
あの悲しげで訴えかけるような表情演技と相まって、「キモかわいい」という不思議な愛着を生んでいるようですね。
チュードの儀式失敗と物理的な倒し方
映画の中盤でマイクが一生懸命準備していた「チュードの儀式」。先住民族の壺に思い出の品を入れてペニーワイズを封じ込めようとするものでしたが、結局あれは失敗に終わりました。

ペニーワイズの方が一枚上手で、儀式のことを最初から知っていたかのように振る舞うんですよね。
「先住民族たちは儀式に失敗して全滅した」という事実をマイクが隠していたことも露呈し、一時は絶体絶命のピンチに陥りました。
魔法ではなく「意志」で勝つ
結局、古代の呪術や形式ばった儀式、あるいは魔法のアイテムといった「他力本願」な方法では、この怪物を倒すことはできませんでした。
最終的に彼を葬ったのは、魔法の壺ではなく、「勇気を持って心臓を物理的に握り潰す」というシンプルかつ直接的な行動でした。マイクが胸郭に手を突っ込み、脈打つ心臓を引きずり出し、全員で手を重ねてそれを握りつぶす。
この泥臭い物理攻撃こそが、彼らが大人になり、現実と向き合い、自らの手で過去を精算する意志の表れだったわけです。恐怖という幻影を打ち破るには、小手先のテクニックではなく、強い意志(と筋肉?)が必要だったということですね。
ペニーワイズの最終形態が示す恐怖の本質

結局のところ、ペニーワイズの最終形態が何だったのかと言えば、それは「僕たちが心の中で勝手に膨らませていた恐怖の姿」だったのかもしれません。
子供の頃、暗闇の中に何かがいる気がして眠れなかった経験はありませんか?
ペニーワイズはその「想像力」を餌にする怪物です。でも、電気をつけて正体を見れば、それはただの洋服の影だったりします。
正体不明の巨大な怪物(蜘蛛)も、勇気を持って「そんなものは怖くない」と立ち向かい、光を当ててしまえば、ただのしぼんだ風船や無力な赤ん坊に過ぎない。
スティーヴン・キングは、この結末を通して「どんなに強大な恐怖やトラウマも、立ち向かう勇気さえあれば克服できるちっぽけなものだ」という力強いメッセージを伝えたかったんじゃないかな、と僕は感じています。
次にまた怖いことがあったら、「Just a clown(ただのピエロだ)」と心の中で唱えてみてください。きっと少しだけ勇気が湧いてくるはずですよ。